J's diary

日々の何気ないことを覚え書き ペットのこと・家族のこと・ガーデニング ホームティーチャー・ヘルスケアに関すること等

July 2016

ざわざわ…

どう選択すれば父にとって幸せなのか?

苦しそうな絡まる痰、、吸引しても

吸引しても痰はやはり出てくる。

それは肺がんの影響なのか、、痛さ

はないというし、咳がでることもない。

感覚が鈍くなっているせいもあると

思うけれど。

痰のせいかもしれないけれど、

食事がとれなくなってきている。

点滴だけでは水分補給にしかならない

。中心静脈栄養法、や鼻から栄養を

入れる鼻チュウという方法もある

ようだが、最初のは細菌感染リスクが

高くすすめられないとのこと、

鼻からの注入は可能だが、

違和感があるので自分で

とってしまう可能性があるようだ。

この状態で胃瘻をして、栄養が取れて

少し快復するかもしれないけれど、

痰はやはりでるだろうし、抗ガン剤

治療をしなければ肺がんが消える

わけではない。肺がんの転移は

ないと果たしていいきれるのだろうか?

もともと痩せていた父だが、また

一段と痩せてしまっている。

大腿骨頸部骨折の手術のあと

大きな手術は無理だろうし、

抗ガン剤治療も負担が大きすぎる。

色々なデメリットもあるので、

胃瘻するのにはためらいがある。

どうすれば父にとって幸せなんだろうか?

リハビリ病院で

 左大腿骨骨折のリハビリで入った病院だが、多くは高齢者

リハビリの程度もピンからキリ。 父も転院した後少しは

リハビリもしっかりやっていたが、その後誤嚥性肺炎をおこし

点滴生活でリハビリもお休みになり、食べる量が減ってしまった。

食欲そのものがあまりないようにもなった。

そんなこんなしていくうちに痰がたくさん出るようになり

痰の吸引を日に何度もしてもらうが

食事がなかなかとれなくなってきた。

かなり弱っていく感じ。

こんなに弱る前は夕方〜夜にかけて目がすわったようになり

リハビリパンツは履いているのにベット回りに放尿してしまったりと

いろいろ面倒な状況にもなっていたが

今はその気力もないようだ。

また転院直後にとった肺のレントゲンに影がうつり

結局のところ肺ガンだろうという診断がついた。

ただ大きさは小さくここ数年大きくなる速度はごくゆっくりということで

2年前のレントゲンがあったのだがそれとくらべて2~3倍になった感じ

それでもさほど大きくない程度。

食べれないのは認知症がすすんだから

痰がよくでてゼロゼロするのは肺がんも影響しているかもとのこと

さてきょうは病院から呼ばれて胃瘻も考えに入れなければいけないとの

話だった。  

あ〜父はどうすれば幸せなんだろうか?

今度は父が・・・

 私が右手が使えなくなっていて10日少したった5月末

本当はデイケアに通う日であった木曜日、体調が悪いと

デイケアをお休みし家にいた父・・・デイケアに通っていたら

お風呂に入ったり、いろいろな活動があって帰ればある程度

疲れて出かけることはなかっただろうに・・・

 ちょうど私は2階で不自由な手、痛い思いをしながらレッスンをしていた時

父が玄関を出て行った音がしたようだったけれど、おそらく近くのドラッグストアで

お菓子でも買いに行ったのだろうと思っていた。

 ちょっと帰るのが遅いようだなあと思っていたら 同じ自治会のご近所の方から

住宅街の端の路上でお父さんが倒れられて救急車がきているから

すぐ行ってくださいとの連絡があった。

 レッスン中だったけれど子供たちをすぐ帰らせ とるものもとりあえず

バッグだけもって救急車の停車しているところまで走った。

 「先生ころばないで・・手に気をつけて」の

子供たちの私を案じる声を聞きながら・・・

 自宅から150mくらいの住宅街の路上で父はふらふらして転んだようだった。

向かいの家の方がちょうど父が転んでもがいているところに自転車でとおりかかり

「救急車をよびましょうか?」と声をかけて下さったそうだ。 頭ははっきりされていたので

救急車をよびました。とのことだった。 うちまでかけつけてくださったのは別のご近所さん

みな父の事を知っている人だったのでスムーズに救急車をよんでくださり、私を呼びに

来てくださったのだ。 ほんとうに有難かった。

 時間的には夕方5時半〜6時の話で救急隊のかたは整形外科で手術ができて入院できる

ところにいろいろ連絡をとってくださった。 夜の病院体制に移行するときで

なかなか受け入れてくれる病院がなく 整形外科の医師が三日休みとか・・・いろいろあり

結局市内の該当病院はすべてだめで 隣市の○○整形外科医院に受け入れてもらえる事に

なり、救急車で サイレンをならして車にどいていただいてスムーズに医院に運びこまれた。

レントゲンをとったりしたが、夕食時間も終わっていたので とりあえず近くのスーパーで

ゼリーや、やわらかい菓子パンなどを買って病室に落ち着いた父を確認して家にタクシーで

もどった。 夜のレッスンもあったのだが病院の待ち時間で事情を話しキャンセル。

自分も骨折、父も骨折で落ち込むというよりは何が起こっているんだろうという感じだったろうか。

4日後手術の説明があり、入院して6日後に左大腿骨骨折のオーソドックスな手術が

行われ、成功した。

その後は翌日からすぐリハビリがはじまり比較的元気そうだった。 ただ認知のほうは

少し進んでいくような感じがした。 2週間と数日でこんどはリハビリ中心の病院に

転院(家に近くなる)できた。 ようやく注意すれば運転もできるようになってきたので

助かった。 そんなすこしほっとした時、私はいわゆる「荷おろし」のような状態になって

日常生活がつらく感じるようになってしまった。 医師には今はエネルギーを蓄えないと

いけないからとにかく休みなさいと言われた。
 
 とはいっても自分のリハビリもあるし、父の入院している病院にいかないわけにも

いかないので休めないよ〜とは思ったけれど あまり自分にプレッシャーをかけるのは

やめようと父には悪いけれど いける範囲で見舞うようにした。 その後・・・ 

あれからすぐに・・・とそれから

 前のブログを書いた翌日の5月15日(日)夕方に

あろうことか私は庭へウッドデッキから3段の階段をおりる時

壁を拭くために後ろ向きにおりていて階段を踏み外しました。

仰向けに倒れる時右手をひねって地面につき声も出ない痛みを感じました。

夫に短い物差しを添え木にしてきつく包帯をまいてもらいました。

翌朝1番に近くの整形外科に歩いていきレントゲンをとると案の定

右手首(太いほうの骨)がおれていたのです。今は石膏で固める事は

あんまりしないのか添え木をしてばんそこうを数か所腕に巻き

包帯をぐるぐる巻きの状態になりました。

 右手ということもあり本当に何もできない状態になりました。

ご飯をつくれない、運転もできない、・・・・笑ってしまうくらいなにもできない。

今は便利なので○○の宅配とかネットスーパーですぐ食べるものを買うとか

いろいろ利用して乗り切りました。

添え木がとれるのが早くて4週間といわれましたが、4週間と2日で添え木が

とれ、あとはリハビリに通うという日々です。

それだけならよかったのですが・・・・
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