J's diary

日々の何気ないことを覚え書き ペットのこと・家族のこと・ガーデニング ホームティーチャー・ヘルスケアに関すること等

家族

不思議な言葉

昨日は敬老の日だったけど

家には今年81歳の父。名古屋には84歳の義父と82歳の義母がいる。

私の母(義母)は時々不思議な言葉を使う。

11月で82歳になる彼女は

美容院のことを髪結いさんと言う。 江戸時代みたい・・・

夏の袖なしの簡単服(家で着るノースリーブのワンピース)を腕キリと言う。

     アッパッパーと私の子供の頃も言っていたけど(これも変)

言葉ではないけれど

結婚した当時・・お勝手で母を手伝っていた頃

洗いゴマをゴマ煎り器に入れてコンロにかけて煎っていた。

確かにこのゴマは美味しかったなあ〜

今では母のお台所コンロはIHになってしまったから

ゴマも煎れないんじゃないかなあ

大正終わる頃〜昭和3,4年生まれの3人の事を思うと

戦争で日本が焦土と化した時(母は家族で満州にいた時)から

IT時代の今日まで隔世の感があるだろうと思う。

高度成長時代〜バブル〜失われた10年〜そして世界が本当に小さくなった今日まで

〜どんな気持ちで過ごしてきたのかなあ?

母の思い出

梅雨の最中〜〜〜先日の大雨に、雷、停電にはびっくり

停電は短時間だったけれど・・中学生のレッスン最中だったのでしばし

真っ暗な中・・こんな時は何をすればいい? と思っているうちに

明かりはほどなくついた・・・帰りも一人は歩きだったので

雷が心配で少し見送っていったらお母さんが迎えにいらした。

 昨日のレッスンで 火曜日の落雷でなくなった方が近所に

いらっしゃると聞きびっくり・・・



 母が亡くなった歳まで 私はあと5年あまり。 私の年くらいには

母はすでに胃癌にかかっていた。 だいたい物が消化できなくて

一晩苦しんだと言った時点で もうかなり悪かったと思う。

 私は、小さい頃から母のそばが大好きで 母の後ろをついてまわる

母っ子だった。 大きくなっても 結婚しても 母には色々な意味で

頼っていたと思う。

 母が亡くなる時 もうすでに自分も2児の若い母親だったけれど 

母が亡くなったその事実をなかなか受けとめられなかった。

「おかあさ〜ん 助けて!」と甘える人がいなくなってしまった・・・

 この年になって 母の事を思うと 女学生時代戦争を経験して

結婚、子育て、そして娘もふたり嫁ぎ、孫も3人生まれ

これからという時に 進行した胃がんで手術、ある程度健康を取り戻したが

結局再発(卵巣がん)そして56歳と11カ月で亡くなった。

 後年 〇もんの先生や 亡くなる直前まで習字の先生をやっていたが

母の人生はしあわせだったのか?とふと思う。

ふつうに結婚して子供も嫁ぎそれぞれの孫も見れて亡くなったんだから

短かったとはいえ、しあわせだったとも思うけれど・・・

まだまだやりたい事はあったろうし 残された父は80でいまだ健在なので

なんだか不思議な気がする。 生前「お父さんは(からだが)弱いから

私がちゃんと看取るわ」なんて言っていたのに反対になってしまった。

 大好きだった母は 私の胸の中にいつもいてくれる気がするので

あんまり 仏壇にむかって話をすることはないけれど         

母と一緒に旅行や美味しいものを食べに行きたかったなあと思う。

長生きしてくれても 母自身はそんなには変わらなかった

かもしれないけれど 父は 今みたいにかたくなには ならなかったと思う。

 心の中の母はいつも笑顔だ。
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