J's diary

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カテゴリ: sick

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1年前の2020年1月16日が日本で初めて

新型コロナ感染者が確認された日だ。

あの時はクルーズ船🚢だけの話かとまた

こんなに長くまた、重大な病なんだとは

誰もがわからなかったと思う。

この一年色んな予定をキャンセル

しなければならなかった。御多分に洩れず

清水の舞台から飛び降りる思いで、

申し込んだ5月のゴールデンウィーク

横浜発着のクルーズ旅行、これは中止に

なり申込金は戻ってきた。

その後緊急事態宣言で不要不急のお出かけ等は

出来なくなった。ようやく県内移動だけ大丈夫

になった時、秩父に一泊旅行を計画したが

やはり近隣施設でのコロナ感染者が出て

念のためキャンセルした。その後

県外の移動がOKになった時、軽井沢行きを

計画したけれどやっぱりキャンセルした。

その後Go to travel が奨励された時

沖縄旅行を計画したが、やはり危険かなと

思い、キャンセル料を払い中止した。

Go to eatで都内でランチはしたけれど

とにかくキャンセル、中止の一年だった。

考えるとこの一年マスクをしていたからか

風邪も引かなかった。熱も鼻みずもセキも

出なかった。緊張感を持って過ごしてきた

んだなあと思った。

 そして17日は阪神淡路大震災から26年が

たった日だ。あの高架の道路が波打って

グニャグニャになった様子がTV画面を

通してだけれど今でも恐ろしく甦る。

翌日が中学受験の初日だったので

子供にはTV画面を見せないようにして

いた。

3月11日には東日本大震災から10年に

なる。やはりTV画面での津波の恐ろしさ

を思い出す。

こんなに地震の多い国によく住んでいるなと

地震の無い国の人は思うだろう。

温泉という恵みももたらしているけれど。

震災、そして今まさにcovid-19、コロナ禍

の中にいる私達、三密(密接、密集、密閉)

を避け、不要不急の移動を避け、マスクを

忘れないように。そしてはやく安全な

ワクチンが受けられるようになるように。

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今日、父の栄養注入は

経鼻の方法で頼みました。

ここのところ、胃瘻について

ネットで調べ続けてます。

メリット、デメリット。

それだけでなく、様々な価値観、

人としての尊厳とは

というような事を

考えざるをえなくなってくる。

色々なものを読んだけれど

一番ひびいたというか

ショックを受けたのは

毎日のように、胃瘻を造設して

いる医師が自分は胃瘻にしたくない

と言っているもの。

そして、世界的には胃瘻は

一般的ではない。ということ。

医療先進国と思う北欧などでも

経口で栄養が取れなくなったら

自然な形で終末期を迎えさせる。

日本ほど胃瘻を作る国は無いのでは

ということ。

真偽はわからない部分もあるけれど。

考えさせられる、、、

どう選択すれば父にとって幸せなのか?

苦しそうな絡まる痰、、吸引しても

吸引しても痰はやはり出てくる。

それは肺がんの影響なのか、、痛さ

はないというし、咳がでることもない。

感覚が鈍くなっているせいもあると

思うけれど。

痰のせいかもしれないけれど、

食事がとれなくなってきている。

点滴だけでは水分補給にしかならない

。中心静脈栄養法、や鼻から栄養を

入れる鼻チュウという方法もある

ようだが、最初のは細菌感染リスクが

高くすすめられないとのこと、

鼻からの注入は可能だが、

違和感があるので自分で

とってしまう可能性があるようだ。

この状態で胃瘻をして、栄養が取れて

少し快復するかもしれないけれど、

痰はやはりでるだろうし、抗ガン剤

治療をしなければ肺がんが消える

わけではない。肺がんの転移は

ないと果たしていいきれるのだろうか?

もともと痩せていた父だが、また

一段と痩せてしまっている。

大腿骨頸部骨折の手術のあと

大きな手術は無理だろうし、

抗ガン剤治療も負担が大きすぎる。

色々なデメリットもあるので、

胃瘻するのにはためらいがある。

どうすれば父にとって幸せなんだろうか?

 左大腿骨骨折のリハビリで入った病院だが、多くは高齢者

リハビリの程度もピンからキリ。 父も転院した後少しは

リハビリもしっかりやっていたが、その後誤嚥性肺炎をおこし

点滴生活でリハビリもお休みになり、食べる量が減ってしまった。

食欲そのものがあまりないようにもなった。

そんなこんなしていくうちに痰がたくさん出るようになり

痰の吸引を日に何度もしてもらうが

食事がなかなかとれなくなってきた。

かなり弱っていく感じ。

こんなに弱る前は夕方〜夜にかけて目がすわったようになり

リハビリパンツは履いているのにベット回りに放尿してしまったりと

いろいろ面倒な状況にもなっていたが

今はその気力もないようだ。

また転院直後にとった肺のレントゲンに影がうつり

結局のところ肺ガンだろうという診断がついた。

ただ大きさは小さくここ数年大きくなる速度はごくゆっくりということで

2年前のレントゲンがあったのだがそれとくらべて2~3倍になった感じ

それでもさほど大きくない程度。

食べれないのは認知症がすすんだから

痰がよくでてゼロゼロするのは肺がんも影響しているかもとのこと

さてきょうは病院から呼ばれて胃瘻も考えに入れなければいけないとの

話だった。  

あ〜父はどうすれば幸せなんだろうか?

 私が右手が使えなくなっていて10日少したった5月末

本当はデイケアに通う日であった木曜日、体調が悪いと

デイケアをお休みし家にいた父・・・デイケアに通っていたら

お風呂に入ったり、いろいろな活動があって帰ればある程度

疲れて出かけることはなかっただろうに・・・

 ちょうど私は2階で不自由な手、痛い思いをしながらレッスンをしていた時

父が玄関を出て行った音がしたようだったけれど、おそらく近くのドラッグストアで

お菓子でも買いに行ったのだろうと思っていた。

 ちょっと帰るのが遅いようだなあと思っていたら 同じ自治会のご近所の方から

住宅街の端の路上でお父さんが倒れられて救急車がきているから

すぐ行ってくださいとの連絡があった。

 レッスン中だったけれど子供たちをすぐ帰らせ とるものもとりあえず

バッグだけもって救急車の停車しているところまで走った。

 「先生ころばないで・・手に気をつけて」の

子供たちの私を案じる声を聞きながら・・・

 自宅から150mくらいの住宅街の路上で父はふらふらして転んだようだった。

向かいの家の方がちょうど父が転んでもがいているところに自転車でとおりかかり

「救急車をよびましょうか?」と声をかけて下さったそうだ。 頭ははっきりされていたので

救急車をよびました。とのことだった。 うちまでかけつけてくださったのは別のご近所さん

みな父の事を知っている人だったのでスムーズに救急車をよんでくださり、私を呼びに

来てくださったのだ。 ほんとうに有難かった。

 時間的には夕方5時半〜6時の話で救急隊のかたは整形外科で手術ができて入院できる

ところにいろいろ連絡をとってくださった。 夜の病院体制に移行するときで

なかなか受け入れてくれる病院がなく 整形外科の医師が三日休みとか・・・いろいろあり

結局市内の該当病院はすべてだめで 隣市の○○整形外科医院に受け入れてもらえる事に

なり、救急車で サイレンをならして車にどいていただいてスムーズに医院に運びこまれた。

レントゲンをとったりしたが、夕食時間も終わっていたので とりあえず近くのスーパーで

ゼリーや、やわらかい菓子パンなどを買って病室に落ち着いた父を確認して家にタクシーで

もどった。 夜のレッスンもあったのだが病院の待ち時間で事情を話しキャンセル。

自分も骨折、父も骨折で落ち込むというよりは何が起こっているんだろうという感じだったろうか。

4日後手術の説明があり、入院して6日後に左大腿骨骨折のオーソドックスな手術が

行われ、成功した。

その後は翌日からすぐリハビリがはじまり比較的元気そうだった。 ただ認知のほうは

少し進んでいくような感じがした。 2週間と数日でこんどはリハビリ中心の病院に

転院(家に近くなる)できた。 ようやく注意すれば運転もできるようになってきたので

助かった。 そんなすこしほっとした時、私はいわゆる「荷おろし」のような状態になって

日常生活がつらく感じるようになってしまった。 医師には今はエネルギーを蓄えないと

いけないからとにかく休みなさいと言われた。
 
 とはいっても自分のリハビリもあるし、父の入院している病院にいかないわけにも

いかないので休めないよ〜とは思ったけれど あまり自分にプレッシャーをかけるのは

やめようと父には悪いけれど いける範囲で見舞うようにした。 その後・・・ 

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